叫んでも叫んでも届かない。
それすらも幸福な事だと、今の俺はそう思う。
貴方の
名前
。
振り向いて見せてくれる笑顔とか。
京?って答えてくれる声とか。
そんなんが嬉しくて、用もないんに名前を呼んだ。
傍におることが当たり前みたいになっとって。
がおらんとよう息も出来へんようなっとった。
空気とか水とか、生きてくうえで最低限必要なもの。
俺にとってはそれと同じ。
手ぇ離してもうたら、きっと生きていかれへんようになる。
にとって俺が、そういう存在じゃないとえぇ。
俺はにとっては空気でも水でもなくて。
唯の恋人。
そういう存在であってほしい。
「がはッ・・・ッぁ・・・はぁ・・・ッ」
狭い個室に充満する鉄の匂い。
溜まった水に赤が広がっていく。
口から顎を拭い切れなかった血が伝ってく。
落ちた雫は水面に波紋を描く。
「ッ・・・はぁ・・・しんどー・・・」
悪態をついてみても止まらん吐き気。
出てくるんが胃液ならまだえぇ。
何も食ってへんから、胃液が真っ赤に染まったんやろか。
そんなわけあらへんがな。
異常なほど身体が痛い。
一箇所に痛みが走るんとちゃう。
痛すぎて、どこが痛いんかも解らんようなった。
身体全部が痺れるような、それでいて刺すような痛みに襲われる。
痛すぎて動かれへんっちゅーねん。
薬なんて、何飲んだらえぇんか解らん。
今更飲んでも仕方ないんやないかとも思う。
薬飲みすぎた身体には、鎮痛剤すらよう効いてくれへん。
「何で・・・こんなん、やねん・・・俺・・・ッ」
いつからかとか、そんなんよう解らへん。
えらい胃ぃ痛なって、そのまんま飯食えんようなって。
気付いたときには、身体から出てくんのは血と嗚咽ばっかやった。
病院には行けへんくて。
こんな痛み尋常やないから。
何て言われんのが恐くて。
子供やって笑われるかもしらんけど、恐くて。
俺、医者やないから、俺の身体がどうなっとんのか解らん。
けど、俺の身体やから、これからどうなるんかは解る。
それを他の人間の口から聞くんは、恐くて仕方ないねん。
仕事には一昨日から行ってへん。
今までは薬で誤魔化せた身体も、多分限界。
きっと昨日は、隠しきれんかったと思う。
風邪やって言うて無理矢理オフ貰って。
ごめんなって、言えへんかった。
「ほんま・・・ダメやん、なぁ・・・」
そのまま這うようにベッドに潜り込む。
静か過ぎる部屋に、自分の咳き込む声だけが木霊する。
枕元に置いた一錠の薬が、妙に輝いて見えた。
なぁ、俺、このまんまなんかなぁ。
咳するたびに阿呆みたいに身体が痛いねん。
心臓がギュってなって、よう息が出来へんようになる。
暑いか寒いかも解らんで、引っ張り出した布団に丸まって。
流れてくる汗は冷たいような気がする。
恐い。
自分の身体なんに、全然言うこと聞いてくれへんねん。
歩けって言うても足はちゃんと動いてくれへん。
手が震えて見えるんは、俺の目が悪いからなんやろうか。
恐い。
独りでおるのが、独りになるんが恐くて仕方ない。
誰かに縋りたい。
傍におってって、独りにせんでって縋りたい。
でもそれさえも、俺には赦されんことで。
顔を覆った手からは血の匂いしかせぇへん。
「・・・京・・・?」
聞き慣れた声。
チャイム鳴ったんにも気付かへんかったんやろうか。
小さな音を立ててリビングのドアが開く。
「あの・・・勝手に入ってごめんね?」
あぁ、鍵も開けっ放しやったような気がする。
それとも合鍵で入ってきたんやろうか。
チェーンしとらんかったっけ。
しとったら中入れんよな。
「ねぇ、具合・・・どう?」
「・・・ぅん」
「うん、じゃ解んないよ。風邪、平気?」
「・・・平気になった、今」
「今?」
「ぅん」
涙が、出そうになる。
でもそんなみっともないとこ見たなくてグッと堪える。
せやけど、妙に胸の奥のほうが熱くて。
それは身体の痛みのせいかもしらんし、のせいかもしらん。
低いベッドの横にしゃがみ込んで。
俺の前髪を優しく掻き揚げてくれて。
くっつけた額からは俺より低い体温が流れ込んでくる。
ちゃんと、ちゃんと温度は交わっとって。
一昨日から初めて、生きとるって実感できた。
「熱、結構高いね。計った?病院は?」
「好き、や・・・」
「京?」
「・・・」
泣きそうになる。
京?って微笑むの笑顔に涙が溢れそうになる。
どうしたの?って首を傾げるに涙が溢れそうになる。
めっちゃ苦しいねん。
身体中痛いし、よう動かされへんし、もう嫌や。
気ぃ抜いたら苦しさに叫び出しそうになる。
吐き気がずっと身体ん中グルグル回っとって。
咳でもしたらそのまま全部吐き出してしまいそうになる。
出てくるのは胃液・・・やったらえぇのに。
血ぃみたいなん出てくるから、口の中が鉄の味。
「何か飲み物持ってこよっか?ご飯は食べた?」
「・・・」
「食べてなさそーだね。食べなきゃ薬だって飲めないでしょ?」
「・・ぅん」
「お粥食べれる?雑炊よりお粥の方が食べ易いと思うんだけど」
「・・・ぅん」
「んじゃ、台所借りるね」
「・・・ぁ・・・!」
「ん?どした?」
「・・・ありがと」
「うん。じゃあはやく元気になってよね!」
台所に歩いてくの後ろ姿見て。
待って、って、独りにせんといて、って。
手を伸ばして引き止めたかった。
細い腕を掴んで、傍におってって言いたかった。
せやけど手ぇ、これっぽっちも動かせへんかった。
『』って呼んで引き止めたかった。
せやけど最初の一文字すら声に出来んかった。
の後姿だけ阿呆みたいに見つめて。
いつもみたいに『』って言いたかった。
いっつも呼んとった愛しい人の名前。
俺にとって特別な意味がある言葉やった。
『』って。
ありふれた名前やけど、世界で一番好きな言葉やった。
アッチの世界とコッチの世界があるとして。
俺がから離れてアッチの世界に行くんやろうか。
それともが俺から離れてコッチの世界に残るんやろうか。
どっちにしろ、もう一緒にはおれへんくて。
そう思ったら涙が溢れてきた。
、俺な、めっちゃ恐いねん。
俺にとっては生きてくために一番必要なもんやった。
いつだって抱きしめとらんと安心出来ひんくて。
の声と匂いだけが安心できるもんで。
それがのうなったら、どうしたらえぇか解らへんねん。
がおらんようになる。
そう思うだけで血ぃ吐くよりずっと身体が痛む。
いつか解らん、それでも遠くない、別れの未来。
その日をじっと待っとくこと、俺には出来へんよ。
がおらんようなる恐怖に、これから先俺は絶対に耐えられへん。
身体が痛い。
それ以上に心臓みたいな心がキリキリと痛む。
もう耐えられへんって悲鳴を上げる。
『』って、そう呼んでしまいたい。
いつもみたいに『』って口に出したい。
甘美な響きに、そのまま溺れてしまいたくなる。
でもやっぱり呼べへん。
少しでも俺の中からを消しておきたくて。
少しでもの中から俺を消しておきたくて。
少しでも、少しでも悲しくないように。
少しでも、少しでも涙を流すことがないように。
名前は、呼べへん。
涙で滲んだ一錠の薬が、輝きを増した気がした。
「京?ソレ、薬だよね?先に飲む?」
「少し・・・寝たい」
はぬるま湯まで用意してくれとって。
それが妙に温かく感じて、俺はに見えへんように涙を押し殺した。
もう少しやから、情けないとこ見せたないねん。
俺は綺麗な楕円形をした白い薬を手にとった。
口に含むとぬるま湯と一緒に体内を下ってく感覚。
涙を、絶対に涙を見せないように。
ぬるま湯で嗚咽ごと飲み下した。
「ゆっくり寝て良いよ」
「・・・」
「大丈夫、ちゃんと傍にいるからね」
「・・・ぅん」
「おやすみ、京」
「おやすみ・・・」
おやすみ、。
多分は、俺が目を覚ますまで傍におってくれる。
俺が目を覚ましたとき、一番最初におはようって言うために。
あぁ、やっぱ『』って呼びたかったな。
おやすみってキスしたかったな。
もぅ二度と起きれへんのに、やっぱ阿呆やな、俺。
叫んでも叫んでも届かない。
それすらも幸福な事だと、今の俺はそう思う。
叫ぶ声があるだけ、幸せだと思う。
叫べる名前があるだけ、幸せだと思う。
もう、俺には何もあらへんから。
BE HAPPY・・・?
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深夜、突発的に思いついたお話でした。
希望の先に絶望があってその先に希望があるとして。
一番先の希望まで辿り着ける人って、どのくらいいるのでしょうか?
一番先の希望のそのまた先が希望だとは、限らないのに。
少しでもお気に召しましたら、感想下さると嬉しいです。
20040831 未邑拝
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