立ち待ちの月は指先も掠めへん遥か上。
空を蒼く染めるそれは、唯々、凛と痛む。
蒼
い月
月が高い。
夜は引き裂かれる、蒼い光。
やけに明るい夜は、濃すぎる影を作った。
息を吸えば凛と肺が痛む。
大寒波とやらは結構強いんやと思った。
いつも通らん裏道。
小さな竹林がいつかの京都を思い出させる。
みかん水を持って隠れた竹の陰。
蝶の死骸を見つけては冬を想い、土へと埋めた。
充満する冷たい匂いが好きやった。
風が吹き抜ければ、ほら、アンタに会える。
「今日は雪が降るね」
「せやなぁ・・・今年一番寒いらしーで」
雲がかかっても隠れることの無い月。
その妖艶な光はかかった雲まで青白く、美しく魅せる。
「なんや、今日はえらい薄着やん」
「そーかなぁ?」
「上着なら貸したらんで?」
「初めから期待してないよ」
「あっそ。ほんまは貸したろ思ったんに」
蒼い着物が風に揺れる。
今日の月と同じ色。
笑うとき口許を袖で隠す癖。
その癖がえらい綺麗やと思ったことがある。
見えない口許を想像して思わず口篭る。
笑とんのに悲しそうな目が印象的やった。
俺はゆっくり空を見上げながら呟く。
風に乗ってアンタに届く声はもどかしくなはい。
「アンタさぁ・・・」
「私の名前、忘れちゃった?」
「・・・忘れてへん」
「・・・なに?」
「・・・」
赤と黒の市松模様。
俺はそのマフラーをの首に巻いた。
吐いた息が蒼い空間に白く舞う。
毎日会うわけでもあらへん。
いつ会えるかとかどこで会えるかとかも解らへん。
それでも俺は。
「俺等が初めて逢ったんて何年前やっけ?」
「京が9歳の時だったよね」
「何や、もう20年くらい前やん」
「・・・そーだね」
それは幼い頃の話。
冬の京都はよー雪が降る。
古い町並みとか古い寺とか古い道とか。
白く染まった街を見るのは、嫌いやなかった。
雪が降ればアホみたいにはしゃいで。
手ぇが痛なるまで遊んで、遊んで。
日が落ちて、空が朱色に染まるその時。
朱と蒼の真ん中で、に出会った。
「は変わってへんなぁ」
「京は・・・変わったね」
「そか?」
「うん、全然違う」
「どこらへんが?」
「・・・よく解んないけど・・・全然違う」
「・・・なんやねんソレ・・・」
冷たい夜空に二つ、笑みが零れた。
着物の袖で口許を隠す癖は変わってへんくて。
なんとなく嬉しくなった。
「冬は、好きになった?」
「急に何やねん」
「冬は好きになれた?」
手に持っとったホットレモン。
いつの間にか俺ん手の中でぬるくなとった。
マフラーがのぉなった首がピリピリ痛む。
に初めて逢ったんは冬やった。
誰かも解らへんのに、やっぱり逢えたって思た。
運命とか信じひんけど、出逢うことは決められとった気ぃする。
いつの間にか変わってった俺を取り巻く環境。
と過ごしたいくつかの季節、時間。
と過ごさへんかった大部分の季節、時間。
年を重ねて過ぎてく時間。
その中で嫌いな季節が一つ増え、また一つ増え。
いつの間にか好きな季節なんか見つかれへんようになった。
春も夏も秋も冬もえぇ思い出なんかあらへんくて。
新しい季節が来るたびに憂鬱な気持ちだけ覚えてく。
気付かへん間に嫌いってゆえるようになっとった。
「冬は雪積るから嫌いやな」
「毎日雪が降るわけじゃないよ」
「いつ降るか解らへんやん」
「雲見れば解るでしょ?」
「空ばっか見て歩くん好きやないねん」
「どーして?」
「足元見られへんやん」
「・・・?」
「また・・・殺すかもしらん」
に逢ったんは、そう、雪の日。
深く積った雪は白すぎて蒼く輝いて見えた。
舞い落ちる雪に気をとられて空ばっかみとった。
手ぇ伸ばして手の平で雪溶かして。
だんだん埋まってく足元。
あんとき雪が降ってへんかったら。
あんとき俺があんなはしゃいでなかったら。
あんとき俺が9歳やなかったら。
あんとき俺が空を見上げてなかったら。
あんとき俺がちょっとでも足元見とったら。
足を上げたときには遅かった。
雪を踏みしめる音に掻き消された命の音。
茶色く染まった花と、羽根がもげて潰れた蒼い蝶々。
「・・・京らしいね」
「何・・・笑てんねん・・・」
口許を掠める冷たい光。
悲しい目許は相変わらずで、胸が締め付けられる。
立ち待ちの月は指先も掠めへん遥か上。
空を蒼く染めるそれは、唯々、凛と痛む。
「京が気にすることなんて何もないよ?」
「・・・嘘や」
「どうして嘘吐く必要があるの?」
「・・・じゃあなして出てくんねん」
あの雪の日。
羽根がもげた蝶々は間違いなく雪に沈んだ。
泥が付いた靴で踏み潰した小さな命。
俺が殺した、蝶々。
「別に・・・恨んでるわけじゃないよ?」
「じゃあ何でやねん」
「京は私に会いたくない?」
「そんなんゆーてへんやろ。何でって聞いとんのや」
怒っとるわけやないのに声を荒げてしまう。
幼い頃の罪を責められるのが恐いからやろか。
取り返しの付かへん事実から、逃げたいだけやろか。
「・・・京が・・・泣いたから・・・」
の冷たい指先が俺の頬に触れる。
もしかしたら俺等の距離がゼロになるんは初めてのことかもしらん。
触れられた頬の温度がの指先の温度と交わる。
「京は覚えてる?ごめんなって泣いてくれたこと」
「・・・覚えてへん」
「そっか」
嘘。
忘れるわけあらへんやん、あの日んこと。
俺ん中ではこんなに鮮明。
多分、に死ってもんを理解しとったわけやない。
唯、俺の足元で無残に潰れた命が酷く儚かった。
千切れた羽根じゃ飛べへんくて。
潰れた身体じゃ息も出来ひんくて。
二度と花から花へ自由に飛ぶことの出来ひん儚さ。
絶対的な自分の力。
そしてそれにねじ伏せられるものの弱さ。
唯々悲しかった。
「あの日、久しぶりに雪が積ってたよね」
「・・・うん」
「京は手袋もしてなくてね、凄く寒そうだったよ」
「・・・うん」
「それでも京は私を埋めてくれたよね」
「・・・うん」
「手真っ赤にして、雪を掘ってくれたよね」
「・・・うん」
「何回もね、もういいよって思った」
の手が俺の手を包み込む。
の手には温度なんかなくて。
それでも触れ合った手は暖かい気がした。
「私ね、京が好きだったのかもしれないね」
「・・・殺されたんに?」
「泣いてくれたじゃない」
「・・・」
「京の手、冷たいけど温かかったよ」
「・・・わけ解らん・・・っ」
ふいに感じた唇の形。
目を開けることもなく、そして閉じることもなく。
冷たい感触が何故か心地良かった。
「冬・・・嫌いじゃあらへん・・・」
離れた頬にそっと手を添える。
俺よりも少し高い身長。
背伸びをせんいいちょうどえぇ距離。
「・・・好きでもあらへんけど」
「・・・どして?」
「アンタに・・・に会えるやん」
俺は目を瞑って冷えた唇にそっと口付けた。
俺の温度が少しでもに伝わればえぇのに。
風すらも通る隙間のない、距離。
この感情が恋かどうかは解らへん。
深い、深い、蒼色の感情。
例えば、今日の月色のような。
「アンタ・・・綺麗やな」
「・・・え?」
「の羽根・・・蒼くてえらい綺麗やと思うで」
「・・・ありがとう」
蒼い月夜に酷く綺麗な蝶々が舞う。
闇に溶けることもなく、ひらりひらりと。
立ち待ちの月は指先も掠めへん遥か上。
空を蒼く染めるそれは、唯々、凛と痛む。
着物の袖で口許を隠すは、酷く綺麗に見えた。
BE HAPPY・・・?
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先ずですね、真冬に蝶々はいませんよね。
そのことに最後の方になって気付きました。シマッタぁー!
京くんが踏み潰した物体はなんだったんでしょうね?(笑)
少しでもお気に召しましたら感想下さると嬉しいです★
20050205 未邑拝
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